正真正銘のラストマッチは出場はなかった。
それでも川崎フロンターレの優勝にこの男が関わってないなどとは誰も言えないだろう。
川崎フロンターレと中村憲剛のラストシーズンは初の天皇杯制覇で幕を閉じた。
今でも早いと思う。
だが戦力のまま去る美学には誰も文句は言えない。
名残惜しいが彼のクラブはもちろん、日本サッカー界への貢献度を考えれば本当に素晴らしくよくやってくれたと、お疲れ様でしたと言うしかない。
川崎フロンターレの顔として18年間のピッチ内外での活躍ぶりは報道され尽くしてるとおりだ。
その素晴らしさは引退発表からリーグ、天皇杯それぞれの等々力ラストマッチ、引退セレモニーとその流れを見れば十二分にわかる。
川崎だけでなくJリーグすべてのサポーターからリスペクトを受ける偉大な選手だと。
代表でももっとできたはずの選手。
たらればの話だがオシムが監督だったらワールドカップ本大会でも主力として活躍したのではないだろうか。
悪いが目が節穴の監督が続いていた代表では彼の価値を推し量れなかったのも無理はない。
代表よりもクラブ。
こうなってもおかしくない状況が日本にはある。
ただその善し悪しはその選手次第だ。
海外移籍も同様で彼の足跡を見れば、ひとつのクラブでやる素晴らしさがわかる。
ステップアップとして海外移籍が重要なのは間違いないが、海外移籍せずフロンターレ一筋を貫いた中村憲剛はクラブとともに成長し続けた。
プレーを見ればわかるし、リーグMVPやタイトルの数々という結果でもその道を肯定し続けた。
そのキャリアはチャンピオンズリーグやワールドカップでの実績にも劣らない唯一無二のものだ。
この偉大な選手の功績が長く語り継がれることを願う。
中村憲剛の代名詞といえばかつてフロンターレを率いた関塚監督が言ったようにインサイドでの強いスルーパス。
だが細身から放たれる強烈なシュートや浮き球のパスなど多彩な選手だったのは言うまでもない。
個人的にはフリーキックが印象深い。
ガンバ戦のサヨナラフリーキックの局面での集中力はもちろんだが、フリーキックの質として速く鋭く落ちて曲がるフリーキックは中村俊輔や遠藤保仁、本田圭佑とも違う独特のもの。
愛するモレリアとともに個性を放った選手だった。
等々力でサポーターをあおる姿や、毎年変わるパフォーマンスが見られないのは残念だが。
妻の加代子さんが言うように終わりが来るから美しいと、受け止めるしかない。
戦力のまま去るということは、凄いまま去るということ。
中村憲剛は中村史上最高のままピッチを去る。
その史上最高の中村憲剛をずっと脳裏に焼きつけていられるのだ。
そう考えるとこれもまた美しい終わり方なのかもしれない。
彼のシンプルだけど味のあるチャントと、ありえないことを演出する等々力の雰囲気とともに
彼の美しいプレーを、背番号14、をしっかりと記憶に焼きつけておこうと思う。
18年間、本当にお疲れ様でした。